プロコン独立開業日記(リレー連載)の過去記事一覧


「診断士の独立開業日記」vol.12
『目指せプロコン! 駆け出し診断士のはじめの一歩』第6回
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田中聡子(中小企業診断士)

「仕事って、依頼者へのプレゼンの場でもあるんだ」―こんなシンプルなことを体感したのは、結構最近のことです。

独立後、思いがけずいろいろな方から声をかけていただき、「その気持ちに、どうやったら応えられるかな」、「こんなアウトプットでいいのだろうか」と、手探りながら自分なりに一生懸命仕事をしています。すると、少しずつですが、次の仕事につながることが出てきました。

独立したての頃、「紹介責任」という言葉を聞いたときは、ただただ「頑張らなきゃ」と思いました。私を誰かに紹介するということは、紹介者が自分の「責任」で相手の方と私をつないでくれたということです。サービス業は無形ですから、紹介者も不安なはず。その気持ちに応えるには、仕事で成果を出すことが一番ですよね。「紹介していただいた気持ちに応えよう」、「お客様に少しでも喜んでもらえるようにしよう」と、いつもドキドキです。そんな中、一定の評価をいただけると、ホッとする気持ちと、「次はもっとよくしよう」という気持ちが入り混じりますが、クライアントによい評価をいただければ、紹介してくださった方もひと安心だと思います。信用というものは、その積み重ねでできていくのだと感じています。といいつつ、納期と品質のバランスをどうとるかは、まだまだ課題ですが…。

「○○さんは、絶対〆切に遅れない」、「□□なら○○さんにお願いすれば大丈夫」―こんな話も、よく耳にします。個人で仕事をするうえで、口コミや評判の影響力はとても大きいものです。依頼されたことにきちんと応えるといった当たり前のことができるかどうかが、次の仕事への分かれ目だと考えています。

私が独立してすぐに周りの方から声をかけていただいたのは、とてもありがたいことでした。でも、この後も続けて仕事ができるか―それがきっと、自分の力を問われるということなのだとも痛感しています。

もんじゃ屋形船写真はこの夏、屋形船に乗ったときのものです(こんなにカジュアルな、「もんじゃ屋形船」というのがあるのです…)。一緒に写っているのは、受験生時代に一緒に勉強してきた友人たち。大勢で集まるのは年に数回ですが、このメンバーの多くが独立したり、診断士関係の仕事に携わっていたりするのも、不思議な縁だなぁと思っています。この中に、第2回でお話しした、初めてのセミナー講師のきっかけをくれた方もいらっしゃいます。いま、どうにか診断士としてはじめの一歩が踏み出せたのは、長い受験生時代や企業内診断士時代の友人、その後の活動を通じてお世話になった方たちとのつながりがきっかけなんだと、この写真をみてつくづく思います。

受験しても、なかなか期待した結果が出ないことはあるでしょうし、診断士になっても、活動の時間がつくれない時期はあると思います。でも、「思い」を持って周りの人と誠実に向き合えば、チャンスは絶対にくると考えています。

独立したとき、私は受験生時代にお世話になった先生にメールを送りました。当時、将来の目標を聞かれ、「できればいつか独立して、一人前の仕事ができるようになりたい」と答えたのを思い出し、こう書きました。

「おかげ様で、夢の半分が叶いました。あとは、“一人前の仕事をする”という、重たいほうの半分です。スタートラインに立てたことを感謝し、何事も楽しんで責任感を持ち、やっていきます」

とはいえ、一人前の仕事がどういうものか、まだまだ手探りの状態です。でも、せっかく独立したのですから、自分の力で直接、お客様の役に立つ仕事がしたい。この思いを持ち、正しい方向に向かって努力すれば、道は拓けると信じています。 

私のお気に入りのフレーズがあります。尊敬している方から教わったものです。

「社会人の特権は、カンニングで成長できることだよね」

そう、モノマネは成長への近道。「あの人のようになりたい」と思える方が周りにたくさんいるのは、とても幸せなことです。この幸せを大切にして、次に皆さんとお会いするときにはもう少し成長していられるよう、何事も楽しんでチャレンジしていきます。

半年間読んでいただき、ありがとうございました!



「診断士の独立開業日記」vol.11
『目指せプロコン! 駆け出し診断士のはじめの一歩』第5回

田中聡子(中小企業診断士)

「初めは仕事もないだろうし、自分のしたいことをじっくり考えてみよう」

そう考えながら始めた独立生活でしたが、予想に反して、スタートダッシュの日々が始まりました。

独立を決めたとき、私はお世話になった方々にその報告をしました。「何がやりたいの?」と聞かれたら、いまできることではなく、自分のしたいことを答えました。すると、いままでお世話になった皆さんから、さまざまなお話をいただくことになったのです。セミナー講師、執筆活動、創業支援…。1ヵ月って、こんなに短かったかしら? そう思うのはきっと、毎日新しいことや驚きがあるからですよね。

独立して仕事をするようになり、いままでにもまして、「世の中って、あったかい」と感じるようになりました。「初めまして」とかけた電話に対して、親切に答えてくれる方って、こんなに多いのですね。

創業支援の一環で、女性起業家の事例集をつくったときのことです。探していた業種で、女性起業家の知り合いがいなかった私は、複数の女性起業家のことが書かれた本を購入し、そこに載っていた電話番号に突撃取材をしていました。

「初めてお電話いたします。私、中小企業診断士の田中聡子と申します。実は…」
勤務先の社名で電話していたときと違って、ドキドキです。

「きっと、セールスと間違われるよね…。『中小企業診断士って、何? 間に合ってますから、もう電話しないでね』っていわれても、へこまないこと!」

そう自分に言い聞かせてかけ始めたのですが、皆さんの親切な対応に、驚きの連続でした。

「今日は忙しいのですが、明日15時以降ならお時間がとれます。明日また、お電話をいただけますか?」

「せっかくですから、会ってお話ししましょう。何日なら、いらっしゃれますか?」

無報酬の取材依頼にもかかわらず、とてもあたたかいのです。ある関西の方には、すっかり仲良くしていただき、初めての電話で1時間近くお話ししてしまいました。あまりにも嬉しくて、「どうしてこんなに親切にしてくださるのですか?」と聞いた私に、その方はこういいました。

「田中さん、事業を起こすときってね、人の縁でお仕事がつながっていくのです。私も仕事を始めたときは、そうやっていろんな方に助けてもらっていた。自分で仕事を始めた人は、みんなわかっている。だから、気にしなくていいのよ。お仕事、頑張ってね。早く軌道に乗るといいわね」

顔も知らない方からのあたたかい言葉は、電話を切ってからもずっと頭の中で響いていました。

一方、苦労していることも、数え上げればキリがありません。たとえば、受験生時代にも苦労した「経営情報システム」。私はいまも、ITが苦手です。「ITが使いこなせれば、もっと効率的に働けるだろうに」と思いながら、悪戦苦闘の連続。思いがけないところでパソコンがフリーズしたり、突然、自宅の無線LANが接続されなくなったり…。1年前に友人から教わるまでは、キーボードの「ctrl+S」でwordなどの上書き保存ができることすら知らなかったくらいですから、「IT以前」といわれそうですが…。

でも、アウトプットの機会って、インプットの原動力になりますよね。こんな私が、友人と一緒にITの記事を書くことになったのです。

月刊『企業診断』2010年8月号ご覧いただいた方がいらっしゃると嬉しいのですが、5人で書いた月刊『企業診断』2010年8月号「ITキャズムの渡り方」のことです。これは、ITオンチの駆け出し診断士・ワタルくんが、謎の仙人に助けられて成長していく物語。この記事は、「フリーソフトで、簡単・便利に環境改善」というテーマだったのですが、ITオンチの私には、そもそもネタがありません。便利そうなソフトを試しても、途中でフリーズしたり、うまくインストールできなかったりで、連載の第2回で書いた『ふぞろいな合格答案』作成時の徹夜を思い出させる日々でした。

でも、そんな私が、ITに詳しい執筆メンバーの愛のムチ(?)を受けながら、少しでも知識を得られたというのは、まさに記事の中のワタル君状態だったのかもしれません。ITの克服はまだまだ先ですが、この執筆を通じて、IT環境改善の階段を1段くらいは上れたのかな、と思っています。

こんな日々を送るうちに、あっという間に半年以上が経ちました。連載も、いよいよ残り1回です。次回は、今後の目標にも触れてみようと思います。それではまた、来月もどうぞお付き合いくださいね。



「診断士の独立開業日記」vol.10
『目指せプロコン! 駆け出し診断士のはじめの一歩』第4回

田中聡子(中小企業診断士)

会社で早期退職募集の話が持ち上がったのは、前回お伝えしたとおり。そして、私の年齢も対象に入っています。モヤモヤしていた自分の夢に、急に期限がつきました。「そんなに独立のことを考えていたのに、まだ迷うの?」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。でもそれまでは、「いつまでに独立する・しないの結論を出す」とは、期限を決めていなかったんですよね。早期退職の応募期限は11月末。申し込み期間は、約2ヵ月でした。

なかなか気持ちが決められず、いろんな方に相談しながらも、自分の気持ちが独立に傾いていくのがわかります。

「今辞めたら、会社に迷惑かな…」、「辞めたら母が心配するかな…」。

会社に愛着もあるけれど、本当にしたい仕事はどちらなのか。今思えば、もう辞めることを中心に悩んでいました。結局、決め手になったのは、「自分に正直になり、やりたい仕事をしよう」という、いたってシンプルな気持ちでした。

ところで、ここにくるまでに実は、ひと騒動ありました。

旦那さんは独立に賛成し、応援してくれていましたが、母には予想以上に大・大・大反対されてしまいました。母は、ほぼ定年まで勤め上げた元公務員。親戚もサラリーマンや公務員ばかりで、自営業の方はほとんどいません。昔、親戚が喫茶店を経営していたときも、楽しいことより苦労話をたくさん聞いていたようで、その印象が強いのでしょう。

「今辞めなくても、定年後にもう1回勉強して始めればいいじゃない」、「今はわからないかもしれないけど、安定も大事よ」、「周りのお友だちにも相談したけど、同じことを言っていたわよ」、「お父さんも生きていたら、きっと心配して反対したわよ」

辞めようという気持ちを電話で初めて伝えたときは、こんな会話のオンパレードでした。

困りました。親が娘を思ってのことですから、「もう決めたから!」なんて一方的なことは言えませんよね。さらに、親にも納得してもらえないようでは、独立してもうまくいかないだろうとも思いました。そこで、電話を切った後、母が反対している理由を整理してみました。

  • 理由(1) 母は、1つの会社で「勤め上げる」ことが美徳であるという価値観を持っ ている。
  • 理由(2) 離れて暮らしているため、私が独立を迷っていることを知らなかった。
  • 理由(3) 今の会社に勤めていれば、生活が安定し続けると思っている。

ほかにもいろいろありましたが、大きな理由はこの3つでした。(1)は価値観のギャップ、(2)は情報の非対称性、(3)は情報の非対称性からくる金銭面の心配です。

旦那さんに賛成してもらえたのは、受験生時代から今までの活動、悩み、嬉しかったことなどを全部みてきていたからです。勤め先も一緒でしたから、会社のよい点も悪い点も知っています。つまり、彼には(2)も(3)もなく、情報を共有できていたことが、独立を賛成してもらえた一番大きな要因でした。

ならば、母にも私の持っている情報をたくさん伝えるところから始めよう(つまり(2)と(3)の解消です)―そう、考えました。価値観は変えられないでしょうが、母と私の価値観の根っこはそんなに違わないことも、話しながらわかってもらおうと思いました。

とはいえ、心配のあまり感情的になっている母にいきなりそんな電話をしても、聞いてもらえないに決まっています。いつまでに納得し、賛成してもらえたら会社を辞めることができるのか、デッドラインを考えながら、母にも考える時間を持ってもらおうと、2日、3日と間隔をあけながら、自分の考えや計画を少しずつ伝えていきました。母には、デッドラインも伝えました。それで、そこまでにどうすればいいのか、母の不安をどうしたら少しでも減らせるのかを、徐々に一緒に考えるようになったのです。結局、20日近くの話し合いを経て、「応援するね」と言ってもらうことができました。

「中小企業の経営者の方が、金融機関から融資を受けるときに障害となるのが情報の非対称性で、解決策は自主的な情報開示である」と受験生時代に習いましたよね。また、「融資を決める大きな要素は、経営者の資質である」とも白書に書いてありました。

経営者は信用できるのか―それを判断してもらうために情報公開が必要なことは、理解していたつもりだったのに、自分の身の周りのことすらできていなかったことに改めて気づかされた騒動でした。

母からの手紙

この後、しばらくして母から手紙が届きました。いつもお茶目な手紙を突然送ってくる母なので、「今回もそうかな」と思って封を開けたら、涙で前がみえなくなりました。

元気だった頃の父の写真の下には、「無理をせず急がず小さな一歩から 勇気に乾杯 みんなで応援しているね」の文字。さらに、私の旦那さんへ向けて、「私をよろしくお願いします」という趣旨の手書きの文字が添えられていました。

「生きていれば、父もきっと反対したはず」と言っていた母が、やっと覚えたパソコンを使って一生懸命応援メッセージをつくってくれた姿が目に浮かびます。大変なことがあっても、この手紙をみたら絶対頑張れる―そう、思いました。

こうして母の賛成ももらった私は、会社に退職の意向を伝えました。17年間勤めていたこともあり、会社に伝えた前後は、相当おかしなテンションだったと思います(苦笑)。でも、その時期は、独立している診断士の友人に誘ってもらい、1ヵ月半かけて飲食店の覆面調査を一緒に行っている最中でした。「辞めることに決めたよ」から「昨日、会社に伝えたよ」までの間、覆面調査の合間を縫って、独立の苦労や面白さを教わりました。

こんな形で、周りの人に相談しながらようやく自分の正直な気持ちと向き合い、いよいよ独立することになりました。「初めはきっと仕事もないだろうし、有給休暇も取り損ねたから、じっくり将来の計画を考えよう」と思っていたのですが…。



「診断士の独立開業日記」vol.9
『目指せプロコン! 駆け出し診断士のはじめの一歩』第3回

田中聡子(中小企業診断士)

「少しだけ口に出してみようかな。独立したい、って…」

自分の中で育ってきた独立したい気持ちを、初めてほかの方に伝えたのは、去年の7月、お世話になった先生が開催したセミナー終了後の、懇親会の席でした。自分の気持ちが固まってもいないのに、そんな話をしたら笑われるかな…と、ドキドキしながら口にしたのですが、周りの方からは予想外に、真剣なコメントをいただきました。

「今日話した印象からすると、人と話す仕事は向いていると思うよ」

「独立するなら、早いほうがいいよ。働きながら経験を積む期間は、どうしても必要だからね」 

一生の宝物・『ふぞろいな合格答案』
合宿風景

会社では、大勢の人前でプレゼンする機会は、ほとんどありませんでした。診断士になってからも、セミナーは、前回お伝えした「接客セミナー」1回だけです。でも、もしかしたら、もっと努力すれば、話す仕事やコンサルティングの仕事もできるようになるのかな…。そんなことを考えているうちに、少しずつ、周りの方に独立を迷う気持ちを話す機会が増えてきました。

人前で話すときの緊張のほぐし方を教わったのは、所属している研究会の夏合宿でした。この合宿では、観光地へ行き、「ミステリーコンサルティング(略してミスコン)」と称した「勝手に診断コンテスト」を開催しました。商業集積を回り、提案骨子を考え、プレゼン資料をつくり、チーム間で発表して内容を競う、という企画を、正味半日という限られた時間内で行うのです。

「田中さん、プレゼンテーターをやってみようよ。途中で、どうしてもダメだってなったら、フォローするからさ」

そう声をかけてくださったのは、くじ引きで同じチームになった研究会のリーダーでした。独立し、コンサルティングや研修を数多く手がけている方です。

「自分1人で話そうとしないで、観客を巻き込めばいいんだよ。質問したりして、ね」

その言葉を頼りに、みんなの前でプレゼン開始です。しかも、即興力を競う企画なので、資料は先ほど完成したばかり。準備もほとんどできていない中、知り合いとは言え、やはり20名近くの前で話すのは、ドキドキでした。でも、質問や対話をしながら進めたプレゼンは、「接客セミナー」よりはずっとラクでした。

「こうやって話せばいいんだ。プロコンの方の教える力って、すごいなぁ…」

もちろん、話し方の課題は、まだまだたくさんありました。でも、ここで自分を変えてもらったことで、「教えることで人を変える」という仕事の魅力を感じ、自分でさまざまな仕事をしたい気持ちは、さらに強くなっていきました。

実務補習メンバーの皆さん
初めて取材・執筆記事が掲載された
月刊『企業診断ニュース』

月刊『企業診断ニュース』の取材・執筆のお話も、独立した友人の診断士からいただきました。第1話でお伝えした、「ふぞろいな合格答案」に携わるきっかけになった方からです。同じ年に診断士試験に合格したのですが、その後独立し、さまざまな分野で活躍されている方でした。

初めての取材は、一緒に行っていただきました。質問の引き出し方、話のまとめ方に、ただただびっくりでした。でも、そのおかげで掲載記事は、周りの方から「面白い」と評価していただくことができたんです。ここに、こうして連載させていただくことになったのも、もとはと言えば、あの記事がきっかけでした(同友館さん、そうでしたよね♪)。

こうして、独立して仕事をされている素敵な方を目の当たりにするたびに、自分も少しでも近づきたい―そんな気持ちが、日に日に強まります。そんな中、会社で早期退職募集の話が持ち上がったのです。



「診断士の独立開業日記」vol.8
『目指せプロコン! 駆け出し診断士のはじめの一歩』第2回

田中聡子(中小企業診断士)

前回は、私の長い受験生活の話にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。今回は、合格の年に起きたことを振り返ります。ここでのご縁もまた、後へとつながっていくので、「絆って本当にありがたいな」と思っています。

さて、ようやく合格した診断士試験。合格がわかったときは、「これで少しはのんびりペースになるのかな」と思っていたのですが、そんな気持ちはどこへやら…。したいことが次々に起こってきます。

 
一生の宝物・『ふぞろいな合格答案』
一生の宝物・『ふぞろいな合格答案

合格直後からメンバーになった、『ふぞろいな合格答案』プロジェクト。受験生のために、少しでも早く出版したい気持ちと、よいものをつくるために内容を精査したい気持ちが、メンバーの中で交錯します。白熱した議論は、なかなか終わりません。貸し会議室が閉まった後は、終電までファミレスで打ち合わせをし、それでも終わらずに、メールで再びディスカッション。「第1回締切は深夜1時、第2回締切は朝7時です」というメールを読み、「徹夜が前提の締切ね!」って苦笑いしながら作業したこともありました。メンバーとの絆、そして皆で寄せ書きした本は、一生の宝物になりました。

また、『ふぞろいな合格答案』の出版と並行して、実務補習がスタートしました。5日間コースの指導員の方は、ある受験校の講師をされている有名な先生でした。でも、それに負けず劣らず、「超」個性豊かなメンバーたち。初日から、5人で10リットルものビールを飲んでしまったのが、絆を深めたのでしょうか? 18日間で合計173件のメールをやりとりし、雪の中、議論を重ねた発表は、社長さんにとても喜んでいただけたそうです。顧問税理士の方から、「社長は廃業を思い悩んでいたけれど、もう一度頑張ろうという気になりました」というお礼のメールをいただいたときは、やりがいと責任の重さを感じました。

実務補習メンバーの皆さん
実務補習メンバーの皆さん

「診断士試験に合格したのなら、セミナー講師をしてみない?」。こんなふうに、受験生時代の友人から声をかけてもらったのも、合格した年のことでした。「百貨店にいるのなら、接客や話し方について語れるよね? 合格したら頼もうと思っていたんだよ」―えっ、私にそんなことを言ってくれる人がいるの? 少し驚きましたが、その気持ちが素直に嬉しくて、2つ返事で引き受けました。とは言え、人前で語ったことなんてありません。はて、どうしよう…。新入社員時代に会社で配られたテキストを、本棚の奥から引っぱり出しました。ほかにもさまざまな資料を集め、構成を考えます。「ここはゴロ合わせにしたほうが、楽しんで覚えてもらえるかな」、「飽きられると悲しいから、クイズを入れてみよう」。こうして、資料作成に1ヵ月以上かけ、自宅の姿見(鏡)を相手に、話す練習をくり返しました。そしてセミナー終了後、参加いただいた方から、「楽しくてあっという間でした」という感想をいただいたときは、涙が出るくらいの嬉しさを感じました。

ただし、大きな反省点も…。このセミナーを撮影したDVDを後日いただいたのですが、復習のためにさっそくみてみると、すごいスピードで話している私。そう、私はとても早口なのです。ゆっくり話すよう心がけたつもりでしたが、緊張もあったのでしょう。今思い出しても、赤面モノです。さらに告白すると、一緒に届いたアンケートには、「少し早口に感じました」との意見が2つもありました。「いつもの3倍、ゆっくりのつもりで話さないといけないのね…」と、反省しきりでした。早口は今も直っていませんが、少しは改善されていると思いたいです^^;。

先日、研究会で発表した際、友人から、「以前よりゆっくり話すようになってきましたね」と、ありがたいコメントをいただきました。最近は、セルフチェックをしようと、自分の講義をボイスレコーダーで録音し、聞き直すこともしています。自分の声を聞くのは恥ずかしいですが、その声とスピードで話しているのが現実ですものね。練習をくり返し、この連載が終わるまでには、話し方ももう少し上達していたいものです。

このほかにも、小売店の覆面調査をしたり、「ふぞろいな合格答案」プロジェクトがご縁で所属した研究会では、海外まで行って飲食店のメニュー提案の材料を集めたり…。思いのベクトルが同じメンバーとの活動を通じ、自分一人ではできないことが、どんどん形になっていきました。

「やっぱり、診断士の活動って楽しい。これが本業だったらいいのになぁ…」―そんな気持ちは、徐々に強くなっていきます。その一方で、一人前に稼げる自信は持てず、独立は相変わらず夢物語のはずでした。

ところが、です。夢って、言葉に出したときから、実現に近づき始めるのでしょうか。「『叶う』という字は、『十回、口にする』と書くよね。思いは、どんどん周囲に伝えるべきだよ」。こんな話を聞いたことがあります。私の夢も、口にした頃から、少しずつ状況が変わり始めたのです。



「診断士の独立開業日記」vol.7
『目指せプロコン! 駆け出し診断士のはじめの一歩』第1回

田中聡子(中小企業診断士)

秋田舞美(中小企業診断士)のブログ皆様、はじめまして。独立診断士1年生の、田中聡子です。今月から6ヵ月間、このコーナーを担当させていただくことになりました。

とはいえ、今年1月末に独立したばかりで、プロコンにはほど遠い状況です。この日記の更新とともに、少しずつでも成長していきたいな、と思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

 

診断士の勉強を始めた頃、まさか自分が独立の道を選ぶとは、夢にも思っていませんでした。ですが、勉強を続けるうちに独立への興味がジワジワと…。そんな気持ちの揺れ動く様子も、少しずつ書いていきます。「こんなに悩んだの?」と笑ったり、「そうなんだ」と共感しながら読んでいただける箇所が少しでもあれば、嬉しいです。今回は、私が診断士を目指したきっかけから、試験に合格するまでを振り返ります。

私が初めて診断士を目指したのは、平成15年でした。勤めていた百貨店で人事異動があり、終電もしばしばだった環境が変わって、20時や21時に自宅にいられるようになりました。初めは、のんびりした暮らしを楽しんでいたのですが、徐々に「このままでいいのかな。この先、自分はどうしたいのだろう…」という気持ちが起きてきました。

 ちょうどその頃、仕事上で悩みを抱えていたこともあり、自分が今後も働き続けるうえで、多面的に役立つことを学習しよう、と診断士受験校に通うことを決めました。どこの受験校のパンフレットにも、「最短1年合格」とありましたので、もちろんストレート合格を目指しました。両親には、「会社を辞めないために、1年後には中小企業診断士っていうのになる」と宣言し、主人にも「1年だけ…」と話して、土日に学校へ通うことにしました。合格は結局平成19年でしたから、ほとんど詐欺みたいなものですよね(笑)。

受験生時代は期間が長かったので、さまざまなことがありました。いちばん驚いたのは、通っていた受験校が2年目になくなってしまったことです。テキストの配本が遅れたり、講義会場が毎週変わったり…。友人とは、「お勉強で苦労がしたいよね…」と嘆きながら通った記憶があります。

また、「勉強を始められた分だけ、続けられる分だけ幸せなんだな」とも、思っていました。というのも、受験勉強を始めた年、父が長期治療で入院することになったのです。両親や主人とも相談のうえ、2ヵ月間会社と学校を休み、看病のために帰省しました。このとき感じたのは、「診断士の勉強を始めていてよかった」ということでした。一度始めてしまえば、止めるのにも決断が必要です。でも、できるときに始めなければ、できない環境は後からいくらでも起こってしまうのだな、と強く感じました。

もちろん、再受験を繰り返すうちに、「自分は一生受からないのではないだろうか」、「こんなことをしていても、結局ムダになってしまうのではないか」と悩んだことも、数多くあります。それでも止めなかったのは、自分の時間を割いてまで、教えてくれたり励ましてくれたりした先生方や友人がいたからです。「合格したら、自分もこうして周りに役立つ人になりたい」と、ずっとそう思っていました。

 通っていた受験校はなくなってしまいましたが、そこの講師だった方が、手弁当で2次試験対策の講義をしてくださることになりました。これには、本当に感謝しています。先生の事務所で、4〜6人がテーブルを囲んで事例を解きます。先生方が独立診断士として仕事をしている様を目の当たりにし、「いつか、自分も独立して仕事ができたらいいなぁ」という気持ちが少しずつ強くなっていったように思います。でも一方で、安定した会社を辞める勇気も、自力で仕事ができるようになる自信もまったくなく、独立は憧れのままで終わるとも思っていました。

こんな受験生活を送っていた平成19年、ようやく2次試験に合格することができました。合格したらしたかったことの1つに、「ふぞろいな合格答案プロジェクト」への参加がありました。同じ受験校の親しい友人が、受験生として前年の執筆に参加していたのです。

「よかったら、私も次回の執筆に参加したいのですが…」。この一言がまた、次々と新しいことにつながっていくことになります。

平成20年の1次試験会場前で、書籍PRのビラ配り
平成20年の1次試験会場前で、書籍PRのビラ配り


「診断士の独立開業日記」vol.6
『“道産子的”マイペース開業日記』[最終回]

秋田舞美(中小企業診断士)

転勤がイヤ! 新しい部署が自分には合わない!! 会社の方針が受け入れられない!!!――皆さんは今、就業している会社に対して不満はありませんか?

秋田舞美(中小企業診断士)のブログ程度の差はあれ、おそらく誰もが持っている仕事への不満。けれど、開業してしまえば、そんな不満は出てきません。だって、最初から存在している仕事なんて、ないんですから。そう、独立開業した者にとって仕事とは、お湯を注げばあとは食べるだけのカップラーメンのごとく、座っていて当たり前のように出てくるものではないんです。

開業してもっとも驚いたのは、決断しなければならない事項の多さです。たとえば、あなたが独立開業したとします。まずは、「仕事をする」という決断をします。あなたのすべての仕事は、あなたの決断によってつくられるのです。その決断によって部門ができ(人員は自分1人でも)、事業が始まります。スイーツをつくろうか、建物を建てようか、商品を仕入れて販売しようか、はたまた中小企業支援をしようか……。これらすべての事項は、自分で決められるのと同時に、自分で決断しなければ、何も起こりません。

この状況に、初期の私はパニックに!!! よく、「与えられた事項を必死にこなしているうちに、自然と……」という言葉を聞きますが、これはウソです。というか、この言葉が真実であるうちは、それは独立ではなく、パラサイト状態なのだと思います。別にパラサイトでも、最後まで食べていければいいのですが、いくら“専門家”というかっこいい名前で呼ばれていても、派遣切りよろしく、ピンチになったら宿主に置いていかれてしまうのが、“寄生虫”の悲しさです。

来年、あなたには仕事があるか? メシを食っていけるか??――これを保証するのは、あなたの決断でしかないのです。それこそが、開業です。

専門分野だって、同じです。専門化難民になってしまっている皆様、専門分野とは、自然発生的なものではありません。自ら、決めるのです。「他と差別化なんてできないよ」などと、言わないこと。開業する私たちだって、“中小企業”なのだから、専門がないなら決めればいい。いえ、マーケティングの一部として、決めるべきなのです。

私だって、最初はありませんでしたし、今でも、研究や実績を積んだ分野を専門分野としているわけではありません。でも、仕事をしているうちに、好き嫌いや得意不得意、そういったことが、だいたいわかってきます。その感覚で、決めるのです!

  • まず、決める。
  • 決まらなかったら、無理にでも決める。
  • 決めたら、動く。
  • 動きながらも、さらに決める。

決断がなければ、とどまることしかできません。何もなさず、何も生まないままに。

  • 決断により、自らが創られる。

これが、私が学んだ、本連載最後の金言です。

  • プラスαの処世術〜図々しいこと、スーパーのおばちゃんのごとし!〜

そして、決断したらとにかく、遠慮せずに動くこと。私は北海道人なので、関東の方はよく、「こちらに来たら、遊びに来てください」と言ってくださいます。まぁ、来るとは思ってもいない社交辞令。けれど、行くんです(笑)。ちなみに私、同友館にもこうして訪問しました。ねっ、同友館さん♪

こうしたおばちゃん的縁(えにし)が、人と人とを結びます。半年続いた本連載も、今回で最終回。けれど、そんな風にいつか、どこかでお会いする。そのための「決断」を今、しているところかもしれません。では、そのときまで!


「診断士の独立開業日記」vol.5
『“道産子的”マイペース開業日記』

秋田舞美(中小企業診断士)

さて、「お仕事」=「価値を提供する」ことだと、ようやく学び始めた私。ただ、それがわかったからと言って……。どうすればできるの!?

右も左もわからぬままでの見切り発車。第一の壁は、当然ながら「実力不足」。ただ、診断士の基本であり、基盤となるコンサルティングに関しては、「できない=相談にいらっしゃる方もいない」ことが功を奏し(?)、被害は最小限で済みました。

秋田舞美(中小企業診断士)そんな私が、自分の実力不足をもっとも痛感したのは、講師業でした。たとえば、アンケート等で「説明がヘタ」とか「何を言いたいのかわからない」といった正直な評価をいただく中、いちばん効いたのが「みんな、こうだからね」という事務局の方の慰め。優しい言葉をありがとうございました(笑)。

理論は、ある程度わかっている。けれど、ほとんどの場合、人生・経営の先輩の方々にお話をするわけです。それも、経営について。説得力をもって伝えられる経験というものが、私には圧倒的に欠けていました。

苦手分野ならまだしも、社内プレゼンが学生上がりの同期の中ではそこそこできた程度で高くなっていた鼻っ柱は、ポッキリ。そして、「100回行って、1度でも評判を落とせば次回はない」プロの世界に、何も考えず、今思えば準備不足の状態で臨み、多数の受講者の貴重な時間をムダにした浅慮を恥じ入るばかり……。

でも、後悔ばかりもしていられません!対策として私はまず、アナウンススクールに通いました。重要なのは、話すマナーでなく中身だということは重々承知していましたが、場を創ることを含め、人前で話すことから改めて学びたいと思ったのです。
たとえば、私が自分の「しゃべり」について感じたのは、基本中の基本。

  • ・起承転結を考える。特に、何を話したいのか。「結」に向かって話す。
  • ・ヘタに笑わせようとしない(“聞いてくれないかも”恐怖症から、笑いをとろうとする=媚びる。けれど、誰も漫才を聞きに来ているわけではない)

そして、根本的な改善策は、企業について肌で感じること。つまり、私たちの本業です。幸いなことに、行政関連の中小企業支援機関で、自分の担当企業も持たせていただけるようになり、実際の企業に触れていくうちに、講師業のほうでも、しっかりと地に足のついた表現が、口から自然と飛び出してくるから不思議です。

さらに、「これができるから」というより、「これしかできないから」という理由から、「新分野進出」、「戦略的な情報発信」という自分の専門分野が決まってきました。ここにも、通常業務に加え、「話す」ということと改めて向き合った経験が活きています。こうして、ようやく「専門化難民」から脱出できたことは、私にとって非常に大きかった。

自分が何をすればよいか、何ができるのかわからない「専門化難民」。実は、すでに独立されている方にも、結構いらっしゃるのではないでしょうか? 「何でもできます」という看板は、「強い専門分野はありません」という看板に同じなのです。

さて、そんなお話に入ったところで、次回は最終回。お仕事の苦労(仕事GET編)です。どうぞ最後までお付き合いください!


「診断士の独立開業日記」vol.4
『“道産子的”マイペース開業日記』

秋田舞美(中小企業診断士)

突然ですが皆さん、「仕事」って何だと思いますか? つまり、「対価を得られる行為」って、どんなことでしょう?

私は開業当初、「仕事」って何なのか、これがわかっていませんでした。たとえば初期の頃、申請書を作成したものの、無料奉仕だと思っていて、忘れた頃に、「申請書の件、請求してくださ〜い」と企業のほうから催促されて、ビックリなんてことも……。それまでも、相談は無償でお受けしていたので、「仕事」だとは思っていなかったのです。

ちなみに診断士の場合、「経営相談」と「飲みながらのグチに対するガス抜き」の区別が難しい場合も! 既知の企業であれば、会議室での4時間より、居酒屋での2時間のほうが濃密だったりもします(私の場合、ツールは「飲み」ですが、これは各人さまざまですよね(笑))。

では、改めて「仕事」って何なのか? 開業して約3年、ようやく気づき始めたこと――それは、自分が提供している製品・サービスに対して、企業が対価に見合う価値を感じてくれて初めて、私の行為は「仕事」になるのです!……おい、本当に診断士か!? と突っ込みが入りそうな台詞なのは、百も承知しています^^;でも、私はそれに気づくまでに、約3年の歳月を要してしまいました。

私は今、顧問先を1つも持っていません。これから独立しようとされている方にも、「えっ、それは厳しいですね」と、よく言われます。ただ、卑屈な意味ではなく、「私に何ができますか?」――私にとっては、まずそれありきなのです。

もちろん、「顧問先を持つな」という意味ではありません。「企業が支払う対価に値する行為を自分は行えるのか?」を問い質してみることが必要です。顧問料が月額10万円だとしても、年間で120万円。一方で企業の視点に立ったあなたは、たとえ月額3,000円だとしても、あなた自身と契約するでしょうか。もし企業があなたに1円でも支払っていれば、何の結果も残せなかった際に不満が生じるということを覚えておいていただきたいのです。

私の場合、専門・経験を鑑み、今は積極的に顧問先を持つ時期ではない、と判断しています。つまり、成果に対する報酬はいただきますが、相談は無料だと思えば気軽に電話もでき、契約終了もありません。そして、何らかの具体的成果に対する報酬として支払う分に関しては、大きな金額でも案外、すんなり納得していただけるのです。とは言え、事情はそれぞれ違いますよね。たとえば、月次定型業務がある場合やメンテナンスを要する場合は、顧問という形態も適しているのかな、と思っています。

今回の私にとっての“金言”。「顧客である企業に、対価に見合う価値を感じていただいて初めて『仕事』となる」ということ。当たり前のひと言ですが、開業して3年後に、ようやく気づいたひと言でした。

秋田舞美(中小企業診断士)


中小企業診断士 秋田舞美 プロフィール

秋田舞美
  • 1978年 札幌生まれ
  • 2001年 東証1部上場の化学メーカーに就職(審査グループ)
  • 2005年 中小企業診断士登録(登録番号:402913)
  • 2007年 秋田診断士事務所開業

※2006年より、(独)中小企業基盤整備機構 北海道支部 新連携担当としても活動(現職:アシスタントマネージャー)

得意分野 ・新規市場進出・戦略的な情報発信・公的施策への対応等
得意業種 ・製造業・営業、啓蒙活動と必要とするサービス等


中小企業診断士 田中聡子(たなか さとこ) プロフィール

田中聡子

1971年生まれ。青山学院大学経済学部卒業後、百貨店に入社し、販売や仕入等に携わる。

2008年中小企業診断士登録。2年間企業内診断士として活動した後、2010年1月に独立。現在は、百貨店での経験を活かし、接客やコミュニケーションに関する講師業や執筆活動などに従事している。