「診断士の独立開業日記」vol.10
『目指せプロコン! 駆け出し診断士のはじめの一歩』第4回

田中聡子(中小企業診断士)

会社で早期退職募集の話が持ち上がったのは、前回お伝えしたとおり。そして、私の年齢も対象に入っています。モヤモヤしていた自分の夢に、急に期限がつきました。「そんなに独立のことを考えていたのに、まだ迷うの?」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。でもそれまでは、「いつまでに独立する・しないの結論を出す」とは、期限を決めていなかったんですよね。早期退職の応募期限は11月末。申し込み期間は、約2ヵ月でした。

なかなか気持ちが決められず、いろんな方に相談しながらも、自分の気持ちが独立に傾いていくのがわかります。

「今辞めたら、会社に迷惑かな…」、「辞めたら母が心配するかな…」。

会社に愛着もあるけれど、本当にしたい仕事はどちらなのか。今思えば、もう辞めることを中心に悩んでいました。結局、決め手になったのは、「自分に正直になり、やりたい仕事をしよう」という、いたってシンプルな気持ちでした。

ところで、ここにくるまでに実は、ひと騒動ありました。

旦那さんは独立に賛成し、応援してくれていましたが、母には予想以上に大・大・大反対されてしまいました。母は、ほぼ定年まで勤め上げた元公務員。親戚もサラリーマンや公務員ばかりで、自営業の方はほとんどいません。昔、親戚が喫茶店を経営していたときも、楽しいことより苦労話をたくさん聞いていたようで、その印象が強いのでしょう。

「今辞めなくても、定年後にもう1回勉強して始めればいいじゃない」、「今はわからないかもしれないけど、安定も大事よ」、「周りのお友だちにも相談したけど、同じことを言っていたわよ」、「お父さんも生きていたら、きっと心配して反対したわよ」

辞めようという気持ちを電話で初めて伝えたときは、こんな会話のオンパレードでした。

困りました。親が娘を思ってのことですから、「もう決めたから!」なんて一方的なことは言えませんよね。さらに、親にも納得してもらえないようでは、独立してもうまくいかないだろうとも思いました。そこで、電話を切った後、母が反対している理由を整理してみました。

  • 理由(1) 母は、1つの会社で「勤め上げる」ことが美徳であるという価値観を持っ ている。
  • 理由(2) 離れて暮らしているため、私が独立を迷っていることを知らなかった。
  • 理由(3) 今の会社に勤めていれば、生活が安定し続けると思っている。

ほかにもいろいろありましたが、大きな理由はこの3つでした。(1)は価値観のギャップ、(2)は情報の非対称性、(3)は情報の非対称性からくる金銭面の心配です。

旦那さんに賛成してもらえたのは、受験生時代から今までの活動、悩み、嬉しかったことなどを全部みてきていたからです。勤め先も一緒でしたから、会社のよい点も悪い点も知っています。つまり、彼には(2)も(3)もなく、情報を共有できていたことが、独立を賛成してもらえた一番大きな要因でした。

ならば、母にも私の持っている情報をたくさん伝えるところから始めよう(つまり(2)と(3)の解消です)―そう、考えました。価値観は変えられないでしょうが、母と私の価値観の根っこはそんなに違わないことも、話しながらわかってもらおうと思いました。

とはいえ、心配のあまり感情的になっている母にいきなりそんな電話をしても、聞いてもらえないに決まっています。いつまでに納得し、賛成してもらえたら会社を辞めることができるのか、デッドラインを考えながら、母にも考える時間を持ってもらおうと、2日、3日と間隔をあけながら、自分の考えや計画を少しずつ伝えていきました。母には、デッドラインも伝えました。それで、そこまでにどうすればいいのか、母の不安をどうしたら少しでも減らせるのかを、徐々に一緒に考えるようになったのです。結局、20日近くの話し合いを経て、「応援するね」と言ってもらうことができました。

「中小企業の経営者の方が、金融機関から融資を受けるときに障害となるのが情報の非対称性で、解決策は自主的な情報開示である」と受験生時代に習いましたよね。また、「融資を決める大きな要素は、経営者の資質である」とも白書に書いてありました。

経営者は信用できるのか―それを判断してもらうために情報公開が必要なことは、理解していたつもりだったのに、自分の身の周りのことすらできていなかったことに改めて気づかされた騒動でした。

母からの手紙

この後、しばらくして母から手紙が届きました。いつもお茶目な手紙を突然送ってくる母なので、「今回もそうかな」と思って封を開けたら、涙で前がみえなくなりました。

元気だった頃の父の写真の下には、「無理をせず急がず小さな一歩から 勇気に乾杯 みんなで応援しているね」の文字。さらに、私の旦那さんへ向けて、「私をよろしくお願いします」という趣旨の手書きの文字が添えられていました。

「生きていれば、父もきっと反対したはず」と言っていた母が、やっと覚えたパソコンを使って一生懸命応援メッセージをつくってくれた姿が目に浮かびます。大変なことがあっても、この手紙をみたら絶対頑張れる―そう、思いました。

こうして母の賛成ももらった私は、会社に退職の意向を伝えました。17年間勤めていたこともあり、会社に伝えた前後は、相当おかしなテンションだったと思います(苦笑)。でも、その時期は、独立している診断士の友人に誘ってもらい、1ヵ月半かけて飲食店の覆面調査を一緒に行っている最中でした。「辞めることに決めたよ」から「昨日、会社に伝えたよ」までの間、覆面調査の合間を縫って、独立の苦労や面白さを教わりました。

こんな形で、周りの人に相談しながらようやく自分の正直な気持ちと向き合い、いよいよ独立することになりました。「初めはきっと仕事もないだろうし、有給休暇も取り損ねたから、じっくり将来の計画を考えよう」と思っていたのですが…。




中小企業診断士 田中聡子(たなか さとこ) プロフィール

田中聡子

1971年生まれ。青山学院大学経済学部卒業後、百貨店に入社し、販売や仕入等に携わる。

2008年中小企業診断士登録。2年間企業内診断士として活動した後、2010年1月に独立。現在は、百貨店での経験を活かし、接客やコミュニケーションに関する講師業や執筆活動などに従事している。